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column#05◆番外、鴫野の踏切
小生の思い出の中にある城東貨物線の範囲は、北は神崎川鉄橋から南は赤川鉄橋迄のいたって短い区間である。
がただ一ヶ所例外がある。それは鴫野の踏切だ。正確には片町線と言うべきだろうが、
貨物線のルートの一部になっているので敢えて含めさせていただく。
まだ鴫野の駅が地平であった頃、駅のすぐ東側を南北に通っている府道に当然の事ながら踏切があった。
この府道トロリーバスが通っていたりして結構車の通行量が多く、一旦踏切が閉まるとなるとかなりの渋滞を招いていた。
そこで国鉄側も渋滞の緩和に配慮し踏切の遮断時間を少しでも短縮すべく、
上下の電車がこの踏切上で交差するようダイヤを組んでいた。(当時は放出迄が複線、放出より東は単線)
しかし貨物の場合はそうもいかず、おまけに遮断機の下りている時間が長くなるのでいつも車が長い列を作っていた。
踏切警手もその辺の所は心得ていて遮断機を下ろすときは出来るだけ列車が近づいてから、
上げるときは最後尾の車掌車がまだ完全に通過し終わらないうちから上げ始めていた。
遮断機が上がると痺れを切らして待っていたトラック、オート三輪、トロリーバスなどがそれっとばかり先を競って渡っていた。
余談ながら、国鉄とトロリーバスの架線は当然のことながら空中平面クロス(?)だった。昭和30年代後半の光景である。
〜つづく〜
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文/元沿線住民さん 写真/I.Oさん
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