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思い出の城東貨物線
column#06◆中年の時代


普段は貨物ばかりしか見ることが出来ない線区であるが、
時たまピカピカの客車や電車が通るのに出くわしびっくりすることがあった。甲種回送である。

青年の頃迄は「ダイヤ情報」誌などある訳も無くそう言う場面に出くわすのもまったく偶然であったが、
長年住んでいると時々偶然に出会うことが出来た。
そう言う時は嬉しさの余りそれこそ目を皿のようにしていつまでも立ち尽くしていたものだ。

中年の頃になって、「ダイヤ情報」誌が発刊され気を付けて見るようになったが、
北行きは近畿車輛から全国へ向けての旅立ち、南行きは大阪地下鉄か南海への搬入が主であった。
その南海もいつからか、京都−奈良−龍華−阪和貨物のルートに変更され、
20年ぐらい前にサザンを見たのが最後になった。以後北行きに比べ南行きはめっきり淋しくなった。

この頃、出勤途上阪急とオーバークロスしている辺りで、茶色のワムで統一された
綺麗な編成の南行き列車に出会っていた。おそらく百済行きではなかったかと思うがそれもいつからか目にしなくなった。

平成の御世になってからはそれこそコンテナ一辺倒で、変わったところといえば一日一便レール運搬車が通るぐらいのものである。
本数もめっきり少なくなり深夜便は無くなってしまった。淋しい限りであるがこれも時代の流れであろうか。
しかし、昨今梅田貨物駅の移転が話題に上がっており、その機能を既存の貨物駅に分散させる計画のようだ。
そうなると百済貨物駅の機能が強化されると共に便数も増え、更に外環状線開通の暁には複線になった線路の上を
電気機関車に引かれたコンテナ列車が疾走することだろう。そのような光景を早く見てみたいものである。

改めて振り返ってみると小生にとって城東貨物線は本当に身近な存在だったとつくづく思い返される。
蒸気機関車が通った後にあの石炭を焚いた独特の匂いの煙があたり一面に漂っていたのも忘れられない思い出だ。
もう一度あの煙の中に身を置いてみたいと堪らなく思う今日この頃である。

子供の頃、当時の大人達に「そのうちここを電車が走るからなと」と聞かされて半世紀、
ついに電車の姿見ることなく彼の地を離れてしまったが、外環状線開通の暁には何はさておき
一番電車に飛び乗って築堤の上を走る車内から我が故郷を見る積りである。
その日が早く来るよう願ってやまない。

〜完〜
文・写真/元沿線住民さん


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