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column#04◆青年の時代
昭和40年代の初め吹田の千里丘陵で万国博の会場作りが始まった頃、
永らく動力車の王様として君臨していた蒸気機関車もそろそろ終焉の時期を迎えつつあった。
城東貨物線もその頃からご多分に漏れず蒸機に混じりポツポツとディーゼル機関車が走り出していた。DD13である。
明けても暮れても蒸機しか通らずいささか食傷気味であった小生にとっては、
新しい機関車がしかも煙を吐かない機関車にお目にかかれると言うのはこの上ない喜びであった。
更に一歩進んで電気機関車も早く見てみたいものだと大いに期待したが、ついに見ることは無かった。
終焉が近づいた日々、普段は見たことも無かったカメラマンが俄かに沿線のあちこちに出没し始めた。
特に新幹線がオーバークロスしている辺りは絶好の撮影ポイントで、一時の賑わいを見せていたが
万国博が終わって間もなく城東貨物線からも蒸機の姿が消えた。
貨車の方はと言えば、子供の頃よく見た2軸のトムやワムも段々姿を消し始め、コンテナ車(コキ)に変わりつつあった。
そのコキも出始めの頃は一編成丸ごとコキではなく、トムやワムとの混結であった。
その内全部コキで統一された編成が走り始めたが、当時は最後尾に車掌室付きのコキフが連結されていた。
自動車運搬車(形式はド忘れ)をよく見たのもこの頃だ。
赤い貨車にカバーをかけた乗用車がズラリと2段に並んで積まれていた。
百済迄行っていたようだがどこのメーカーの車だったかは判らなかった。
これもいつの間にか見なくなってしまったが、昭和60年頃だったか大阪港界隈を車で走行中、
不用になった運搬車が臨港線内に大量に放置されているのを見たこともあった。
稼動期間は案外短かかったのではなかろうか。
〜つづく〜
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文/元沿線住民さん 写真/I.Oさん
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