昔日の福知山線写真集
塚口南方の2枚目。
福知山線はこの当時単線非電化でしたが、昭和31年11月に東海道本線が全線電化された際、塚口まで架線が張られました。
何故なら、客車時代の「つばめ」「はと」は上り下りで編成全体を転換する必要があったため、
大阪到着後まっすぐ宮原へ向かうのでなく、大阪−尼崎−塚口−尼崎−宮原というルートで回送していました。
これで前後ろが逆になる訳です。
C62の時代は架線は必要なかったのですが、電化と共に機関車がEF58に変わりましたので架線が必要になったのです。
写真は、C11のローカル各停。多分大阪行。
(1962年8月撮影)
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